生死のはざま
最上階にある城主の部屋から大広間までは,別棟になっていることもあり,それなりに距離がある。
城主の部屋から大広間に着くまでの間も,外の蝉は必死に鳴いていた。
いま,私は生死のはざまにいるのかもしれない。
木にしがみついて必死に鳴いている蝉のように,少しは生に貪欲になったほうがいいのだろうか,などと考えているうちに,お役人様の足がぴたりと止まる。
「こちらです」
ありがとうございます,と小さく会釈をして大広間に足を踏み入れる。
ただ一振りの日本刀が真ん中に置かれているだけの,ひたすらに広い和室は,まるで別世界のようだ。
しんと静まり返っていて,蝉の声も何も聞こえやしない。
一歩,また一歩。
生前見たこともなかった日本刀に,不思議と惹きつけられていく。
この刀が私を殺すかもしれないというのに。
袴を少し持ち上げて,日本刀の前に正座する。
広間に向かう間,お役人様は顕現方法なんて一言も発さなかった。
代わりはいくらでもいるのだろう。
私一人が顕現できなかったところで,特に問題はないのだ。
持ち上げて崇め奉るか。
このまま礼をするか。
どうかお姿を,と話しかけるのか。
このまま尋ねれば教えてくれたかもしれない。
でも,それよりも。
私は,その刀身を,見せてほしい。
抜刀の仕方など習うことはなかった。
引き抜くことすら叶わないかもしれない。
触れることすらできないかもしれない。
それでも私は,躊躇うことなく目の前の刀に手を伸ばして,迷うことなく鞘から引き抜いた。
ひらり
目の前に現れたのは,小さな一輪の桜の花だった。
おかしい。
私はすでに死んだのだろうか。
今は夏だ。
辺りを見回しても,桜の花はどこにも咲いていなかった。
「左様ならば,仕方がない」
その瞬間,桜吹雪が舞う。
そのあまりの量に,思わず目を逸らす。
「蜂須賀虎徹だ」
この方が,刀剣男士。
只今顕現確認しました,こちら了解です,というお役人様の事務的なやり取りがかすかに聞こえる。
「どうぞ,よろしくお願いします」
とある夏の日,この本丸は,こうして幕を開けたのだった。